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2月2日(日)佐久・布施で
霧舎事件をテーマにした台湾映画『セデック・バレ』が話題になっていて、関連図書として、中村ふじゑさんの霧舎事件をテーマにした『オビンの伝言』が品切れになった。梨の木舎刊の本である。注文を受けてから在庫がないことに気づき、困った。1冊ぐらい残っているのではないかと、梨の木舎の棚を整理した。1冊探し出した。今も毎週1、2冊注文がきている。注文に応えられないことはとても悔しい。読者にも申し訳ない。著者にもわるい。初版は確か2000冊。増刷するとしたら最小ロット500冊。この数を売り切るのに、何年かかるだろうか。売り切れるだろうか。 棚の整理をしていて、探していた雑誌をみつけだした。きどのりこさんの、「オトタチバナは誰のために死んだのか」が掲載されている1999年6月の『戦争責任』第2期第2号(樹花舎)。インドのニューデリーで開かれた国際児童図書協議会世界大会での皇后美智子さんのビデオによる講演を取り上げている。これを探していた。 海神の怒りを静めるために、オトタチバナが犠牲となって入水する物語に深い衝撃をうけたと、つまり、〈愛と犠牲〉が表裏一体であることを美智子さんは語り、「オトタチバナは后として天皇のために死を選んだ。〈国家〉の存続のためにその選択肢しかなかった。〈大君の辺にこそ死なめ……〉、どこかで聞いたような賛歌がまた聞こえてくるではないか」ときどさんは指摘する。実はその選択しかなかった。オトタチバナが自らが選んだのであろうけれど、ほんとのところ強制的な死。特攻隊の若者たちの死と同じだ。自分で選んだように思わされているか、思うことにしたのか。本当は思わされていたのに、まるで自分が望んだかのように思う。わたしはオゥエルの『1984年』の衝撃的な結末を想起する。彼が描いた世界は、いまありふれた現実の世界だ。 「侵略者の典型であるヤマトタケルと迷信の犠牲者であるオトタチバナの話を〈愛と犠牲〉という美しい言葉でくくることはできない」と。きどさんは指摘する。個人に平和的生存権を認める日本国憲法の下で、国家が個人に〈犠牲〉を強いるのは許されない。いろいろなところで、強制が進んでいる。 「自分の頭で考えよう」は、そうなんだけれどで、あまりに抽象的。だから、自分の言葉で考えよう、語彙が少なくても稚拙でも、自分の言葉で考えよう。そこには、自分の思いが盛り込まれる。 午後から、ずーっとこれ(梨の花一輪)を書いていた。望月の家でストーブを炊き続けて、夕方灯りがついていたからと、深雪さんがよってくれて、もってきてくれたいなりずしをつまんで、コーヒーを飲んでおしゃべりして、下の家のテルちゃんが顔を出して、アースデーに何を出品しようかと話し合い、星空の下彼女を送った。さてさて。 スポンサーサイト
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