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ミナガちゃん

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7月16日(月)ここにかつて人々の日常があった。

 東北気仙沼線の柳津からバスに乗り継ぎ志津川で降りた。そこは南三陸町だった。
 気仙沼線の駅舎があったというところには、コンクリートの箱のようなものが残っているだけ。
 迎えにきてくれた佐藤さんから、「駅だったの」と言われなければ、ここに駅があったなんて、
とても想像できない。
 脇に3メートルほどの盛り土が続き線路が伸びていた。
 若者が2,3人線路を歩いている。
 海まで1キロほどあるだろうか、広がるのはかつてあった町の痕跡。
 町役場は、いま高台のスポーツセンターアリーナに移転しているときいた。
 
 中央に赤く錆びついた鉄骨がむき出しになった南三陸防災被災センター。
 ここで避難を呼びかけ続けた役場の女性職員遠藤未希さんが逃げ遅れた。テレビで何回も未希さんの
声は流れた。いまも聞こえる…。多くの職員が亡くなった。
 屋上の手すりにつかまっていた人たちは、手すりごと流された。
 手すりがもっと頑丈だったら…、悔やまれることはかぎりないだろう。

 1階の入り口付近には焼香台がつくられ、たくさんの花、千羽鶴が備えられている。
 人の訪れは途切れることはない。

 さらに、100メートルくらい海側に、白壁の病院が残っている。5階建てだったが、5階まで水があがった。
5階と屋上にいた人は助かったが、そこまであがれない人たちも大勢いた。
 今日は梅雨が明けたのかもしれない。じりじりと焼けるような太陽、青い空にちぎれ雲…。

 あれから、1年4カ月と5日。身近な人を失った人びとにとっては時間がとまってしまった日々。
 でも、佐藤さんたち南三陸町志津川平磯仮設住宅の人たちはいう。
 「でも私たちは持っていかれただけだからいい。福島の人たちはかわいそうだ。自分の住んでたところに
 もどれないんだから」
 
 平磯仮設住宅は、ここからさらに山を越えて車で10分ぐらいの海の見える高台に作られている。
 すぐ下に住んでいた17世帯がまとまって入居している。もと家があったというところには、いま何もない。
すっかり持っていかれてしまった。
 集会所が一つ作られていて、そこにみんなが集まり、おしゃべりのなかからタオル手芸ちくちくプロジェクトが
はじまった。港が壊滅、船は流され、魚関係の仕事はなくなってしまった。だから仕事がない。仕事をつくって現金
収入を確保すること、それが小さい、でも大きい一歩かもしれない。わたしにも何かお手伝いできるかもしれない。

 
 東京では、今日は「脱原発」のデモが行われているはず(主催者発表17万人のでもだった)。

 

 
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