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2010年9月6日(月)
2週間ほど前、山口のり子さんにさそわれて、岩波ホールの『セラフィーヌの庭』を観にいった。

 実在した画家セラフィーヌ・ルイ(1864-1942)を描いている。自然によって育まれた心。――下宿屋や修道院での掃除や洗濯や料理を頼まれて、生活は成り立っていた。床を磨く。シーツを川で洗濯しお日さまの下で乾かし、下宿屋に届ける。おいしいパンを焼き、おいしい紅茶を淹れる。修道女たちと神様について話す。木や草花がセラフィーヌの命を支えていた。

 仕事を終えたセラフィーヌは、庭を通り抜けて、村の小道を行く、一本の木にたどりつく。幹に足をかけよじのぼり、太く張り出した枝に腰かける。遠くに目をやる。風が吹いていく。一日の終わりをこうして過ごす。
 
 木に抱かれながら、草原の景色を眺める。つややかな葉っぱや赤や黄色の鮮やかな花がいつも心の中を満たしていた。繰り返し、花や葉を描く。心の中から染み出して来るものを描く。

 その3年後、ドイツのケーニヒスブルクにケーテ・コルヴィッツ(1867~1945)は生まれた。ほぼ同じ時代に生きた。生きた環境も、画風もちがうが、わたしは二人に心ひかれる。

 1982年の教科書問題をきっかけに出版してきた「シリーズ・教科書に書かれなかった戦争」56冊目は、『次世代につたえる生体解剖の記憶――元軍医湯浅謙の戦後』(小林節子著 定価1700円+税)、7月に刊行しました。


 
 小林節子さんが中国帰還者連絡会を知り湯浅さんに出会い、「撫順の奇蹟」とはなんだったのか、いろいろな人に会いながら考え続け、この本がまとまりました。

 日本が戦争の過去に向き合ったのは、第1に戦犯裁判の判決を受け入れた、サンフランシスコ講和条約、第2に植民地支配の歴史について踏み込んだ、1995年の「村山談話」、(93年には河野談話もでている)、いまは過去にけじめをつける第3期ではないかと、東郷和彦(元外務省条約局長)は内海愛子さんとの対談で話している(2010年8月28日『毎日新聞』)。

 「戦争裁判」では、日本は「日本国民」への判決を承認したが、その中には植民地出身者が入っており、彼らは、刑は受けたが、サンフランシスコ講和条約以降は外国人になり援護の対象からははずされた、と内海さんは指摘している。

 80年代には、アジアからの怒りの声があがり、日本の市民もアジアに出かけ話をきいたり、あるいは国内で強制労働の事実を調べたりという運動が生まれた。それは今に続く。梨の木舎の教科書に書かれなかった戦争も、ささやかにそういう動きに連なる。

 朝鮮人・台湾人BC級戦犯の問題は、まだ解決されていない。その後におきた朝鮮戦争、ベトナム戦争も、数々の問題を置き去りにしている。先日、朝鮮戦争時の捕虜収容所のあと巨済島(コジェド)をたずね、この戦争のことをまったく考えてこなかったことに気づかされた。

 『次世代につたえる生体解剖の記憶――元軍医湯浅謙の戦後』は、占領地での生体解剖という名の虐殺が行われたことを、問う。中国共産党は、生体解剖を担った湯浅謙さんたちに、「学習」させた。湯浅さんたちは、日本帝国主義の犯罪を認識し、帰国後、「中帰連」をつくり、活動を続ける。この事実を次の世代につないでいくこと、これが植民地支配の責任を問いつづける私たちのやっていくこと。

 生体解剖された人たちの遺族は大勢生きている。いまこの瞬間も、心と身体に傷を抱えいる人たちがいる。その人たちに向かいあわなければ、東アジア共同体と言ったって、お題目にすぎない。亀井文夫さんは、鳥の目で見る、と言った。わたしの大好きなラーゲルレーヴの『ニルスの不思議な旅』も鳥の目の旅だった。鳥の目は、高いところから地上をよく見ている。

 
 


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2010/09/07 08:55 平和を考える TB(0) CM(0)
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