出版活動を続けながら、地域の人々や世界の人々と情報と知恵を交換していきたと思っています。梨の木舎らしい日々の思うこと、考えることを発信します。
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ミナガちゃん

Author:ミナガちゃん
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2015年7月15日(水)
すべての武器を楽器に
今日は有事立法関連法案が委員会を通過するらしい。朝10時少し過ぎ、神保町から地下鉄を乗り継いで、丸の内線の国会議事堂前駅に着いた。同じ車両に乗り合わせた男性が、キャリーバッグを両手で抱えておろしている。ずいぶん重そう。
長いレンズのようなものがキャリーバッグにおさまりきらずにはみ出している。前を歩いている。どうやら同じ方向に行くらしい。
「取材ですか? 長いレンズですね」「いいいえこれカメラじゃないんです。バズーカ砲です」 ええ?!、バズーカ砲?(あまり唐突なので、確認しそこねた)そういったような気がする。
「ぼく栃木からきたんですけど、これ楽器なんです。すべての武器を楽器に変えよう、という運動をしてるんです」
「ええー、なんというグループですか?」
「グループじゃなくて、一人でやってるんです」
「一人ですか」
「これに弦を張って、ビオラにしてるんです。すべての武器は楽器になります。静かなところで、演奏しようと思ってるんですが、トイレを探しておかないと思って、はじめてきたものですから。この辺にコンビニないですか」
 自民党本部の1階にコンビニがあると通りかかった人に聞いて、彼はそちらに向かった。 今度きかせてください。「すべての武器を楽器に」さん。

もう一人に声をかけられた。
「あのー、このデモにはいってもいいですか」
「ええ、わたしも勝手に入っています」
「わたし一人できたんですが、デモは初めてなんです」
「そうですか。わたしも一人です。どちらからですか」
「千葉からです。こんなことおかしいと思って、家にいられなくて、今日が65歳の誕生日なんですが、わたしのデモ参加記念日です。孫が5人いるんです。そのうち3人は男の子です、黙っていたら孫たちが戦争に行くことになります」
「女の子だからって安心はできないですしね」
「ほんとにね。夫をさそったんですが、法案が通ったら、みんな慌てるだろうって」
(夫さん、1度通ってしまったら、それが既成事実になるからそれを変えるのは10倍のエネルギーがいると思うけど。)

 1時間ほど国会周辺にいて、梨の木舎にもどった。その間に、安保法制案は、委員会を通過していた。
しかしなあ、憲法学者9割(東京新聞98パーセント)が違憲だとし、歴代の内閣法制庁長官も違憲だとし、元最高裁判事那須弘平も「憲法解釈変更をするのは法律的にも政治的にも
認めがたい」と発言している法案を法治国家日本が通すの?
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8月6日(水)
 昨日東京に戻り(どっちへ行くのが戻るというのか)、友人の息子さんのお通夜にでて、
そのあと知り合い3人と精進落としの2次会。息子さんには会ったことがないが、ガンだったという。
 37歳の若さ。逆縁の親の気持ちはいかばかりか。

 37度Cの東京で生ビールを2杯のみ、今朝起きたのは3時半。
 4時に明るくなり始めて、今日も、暑くなりそうな気配。窓辺に植えたきゅうりの、木というのか、
 一番高いところに3つ、赤ちゃんきゅうりが3センチほどに成長して、収穫を楽しみにしていたのが先週の金曜日。
 4日目の昨日、しなびてしまっていた。

 葉の数枚下にもう1本のびかけているのがある。
 大きくな~れ。水をたっぷりやる。
 ゴーヤは2本苗を植えたが、こちらは花ばっかりで、実が一つもつかない。

 この前の日曜日、8月2日は郡山で飛田晋秀さんの写真展と講演会に参加。
 「福島のすがた~3.11で止まった町」は、富岡町、大熊町、二葉町を写す。
 飛田さんは何回も町にはいり変わっていく姿を撮り続けている。

 見なければわからないことがある。あの日で止まった町。
 入ってみた富岡町は衝撃的だった。
 止まっているばかりではない。さらにだんだん朽ちていく、町、建物。
 野性にもどる家畜やペットたち。

 私たちの日常生活は、何かを隠しながら続けられている。
 暮らしのリアリティを欠いた都会の生活。都会の暮らしからは、作る過程が見えない、滅びる過程も見えない。
 目隠しされ、リアリティを奪われた生き物、街場の人。
 国家の犠牲のシステムの上にあるのは、自分の感性を葬って日々をおくる者の姿。
 差別の構造も犠牲のシステムも重層的でわかりにくい、たえまなく形を変えていくように思う。
 知りたい、何が起きているのか。しかし、際限ないですね~。

 3時過ぎ、セットンの風2回目の合宿のため、
 せっちゃん、あきさんの運転する2台の車にチャンゴを押し込み、郡山から三春へ。
 リーダーはミンジャさん。ミンジャさんは、私たちをおだてるのもうまい。
 どうしたらちゃんとたたけるか、「前頭葉が一生懸命働いているんだよ」
 
 ぶたもおだてりゃ木に登る。わたしたち、木に片足をかけている。


 


2014年2月22日

 ずくなしでかんし。


 小学校の宿題はいつもため込む習いだった。とくに自由課題は前の日に母に泣きついて、
まるで宿題をしなかったのは母のせいだといわんばかりの態度で、母に手伝ってもらった。
4年生の夏だった。長い休みには父の実家、望月のおばあちゃんのところで過ごした。
田舎で遊びほうけて宿題を抱えて上田にもどる。開店して5年目、二幸ラーメンは繁盛していた。

 母は縫い物が上手だった。洋裁と和裁を習うのが嫁入り前の娘のたしなみだったからかもしれない。
末っ子のわがままにつきあい、すこしは母自身も楽しんだかもしれない。
学級委員をしているいい子の娘が宿題をしていかなかったらみっともないと思ったかもしれない。

 オレンジ系のコールテン地をつかった、縦40センチ×横30センチほどの壁掛。
下3分の1にポケットをつけた。間にミシン線を2本入れ、3つに仕切っている。
あまり布でつくったアップリケがついて、なかなかの出来栄えだった。
荻窪先生(名前を覚えている。やさしいおじいちゃん先生だった。といったって
今の私より若いわけだけど)は、「とってもよくできている作品があるよ」と、
私の(母の)壁掛けをほめてくれた。
「おうちの人にてつだってもらったんでしょうけれど」と一言あったけれど。

 その壁掛けは、2回の引越しと半世紀が過ぎた今も、トイレの壁にかかっている。
というわけで、いつも追い詰められて仕事をしている。
ブログは、かつての絵日記のように、過去にさかのぼって書くはめにおちいっている。



2014年2月8日

 横浜フィールドスタディー

 9時ごろ、息子の直人のアパート(桜堤)を出て、横浜桜木町に向かう。
鈴木晶さんと横浜のフィールドワークをすることになっている。
途中駅で乗り換えのため電車を下りたところで、ケータイがなる。

「きょうは、雪がすごいので、打ち合わせはやめましょう」高嶋さんから。
フィールドワークのあとは高嶋伸欣さん高嶋道さんと打ち合わせを予定していた。
たしかに外出にふさわしい天気ではない。

 鈴木さんからは「雪の横浜は、めったにないチャンスかもしれない」とメールが入っていた。
足はスノーブーツで固めているから問題ない。
鈴木さんと私は雪の横浜のフィールドワークに出かける。桜木町駅から歩く。
教え子で地ビールをつくって販売している、という店がある。今日は閉店かもしれない。
この次のお楽しみ。
  
 少し先に有名なおでん屋がある。店の壁にはおおきな看板がかかっている雪はやむ気配はない。
休みの店が多い。

 横浜は出島だったという説明を聞いたあたりで、17年ぶりに履いたという鈴木さんのトレッキング
シューズの底がはがれてきた。「ええ!大丈夫?」といっているうちに全部はがれた。
鈴木さん、あわてず騒がず、「せっかく履けたと思ったのにやはりだめですね」
コンビニでビニール紐を買ってしばりつけた。はさみも借りた。
お互い、転んで骨折したりしなくてよかったよね。

 そのあと、私は新宿のアルタに向かったのです。
細川もりひろさんと小泉信一郎さんの最後の演説をきくために。雪は降りしきっている。
6時半から、細川さんの最後の訴えと鈴木さんがネットで調べてくれた。
アルタ前に着いたのは、6時過ぎ、ちょうど宇都宮けんじさんの演説だった。
福祉のことをしゃべっている。演説には聴衆に届けようという気構えが感じられない。
顔とおんなじ、全然面白みがない。政治家には人を引き付ける魅力がないとね。
私の立っている左から男性が歩いてきた。
あっ、誰だっけ、名前が思い出せない。
隣に、立った。 

話しかけないと、

「すごい雪ですね」
「やあ、すごいですね」
「テレビで拝見しているんですが、失礼ですがお名前が思い出せなくて…」
「田中秀征です」
「(そうだ!)ああ、どうもごくろうさまです」(と言ったかどうか忘れたのだけれど)
「いま長野から出てきまして…」
「私も長野です!」
「ああ、そうですか。ぼくは篠ノ井なんですが。どちらですか」
「佐久に生まれて、いまは上田です」
「ああそうですか。…ぼくは、ちょっと向こうに行きますので」

 レポーターらしい女性と細川さんの宣伝カーのほうに向かった。
やはり秀征さんも細川・小泉の演説を聞きに来たんですね。応援に来たのかもしれない。

 細川陣営の最後の演説が始まった。
応援演説は、なかにし礼さん(たしか)、澤地久枝さん、湯川玲子さん、
下村満子ほかにいたかもしれない。細川もりひろさんのパートナー、細川佳代子さん。
佳代子さんのスピーチは実に誠実だった。
澤地さんのスピーチに同感だった、細川さんのスピーチは政治家として実に行き届いている、と。

 細川さんの演説の途中で、直人からのメール。
「ゆみこさんが来ないとご飯にならないよ」。
聴衆の中を、掻き分けて地下道の入り口までたどりつく。
身じろぎもしないで聴きいる人たち――。

 結果は悔しい。
「都民は桝添という最悪な選択をした」(日刊ゲンダイ)。
しかし田母神俊雄61万票もすごい…。



3月1日

 伊江島で。


 Tさん、
 いま、沖縄の伊江島にいます。
「銃剣とブルドーザー」に素手でたたかった阿波根昌鴻さんのいた島です。

 阿波根さんには生前お会いすることができずに残念だったのですが、
阿波根さんは、「わびあいの里」というものを遺されていて、
全国の反戦運動の拠点の一つになっています。

 昨日は、わびあいの里がよびかけて、オスプレイ配備反対と基地撤去を求める集会があ
り参加しました。
(1年に1回、「学習会」という催しをやっています。
阿波根さんは「学習は闘いの武器だ」といわれた)

 集会での村議の名嘉實(なかみのる)さんの報告に驚きました。

 2012年10月4日にオスプレイが普天間に配備されました。
 何日後かに伊江島で訓練がはじまりました。
 その年の10月の11日間で、364回の離着陸訓練が行われたそうです。
 1日に平均で33回の離着陸訓練ですね。
 今年2014年の2月までに、通算で1793回!(『沖縄タイムス』2014年3月2日付)
には、驚きました。

 この話は、まったく初めて聞くというわけではなかったんですけれど、半信半疑だったものですから衝撃でした。
 しかも、1トンから3トンのコンクリート塊などをぶらさげて、物資輸送訓練やパラシュート降下訓練が繰り返されているんです。

 基地近くの和牛農家平安山良尚さんの牛は、去年の13年8月には、乳牛3頭が早産、
1頭は死産で、親牛も死んだということです。
 
 今年に入ってから夜間訓練が頻繁に行われている。1月に106回、2月に52回だそうです。
 
 屋外の集会のあと、名嘉さんが撮ったオスプレイ訓練のDVDが、屋内で上映されたんですが、
映像に圧倒され、目をそらすことはできませんでした。
 
 「空飛ぶ棺桶」が、伊江島の空を、まるでわが庭のごとくに飛び回っているのですから。
下に人間が住んでいるなんて、思っちゃいない。

 村民は、何も言えない。何もいえなくされてしまっている。
それは原発立地県とおなじような状況かもしれません。
 大体、住民の健康を先頭だって、体を張って守っていかなければならない村長が、
米軍へ申し入れは必要がないと、拒否しているということ。
ことをあらだてたくはない、ということなんですね。

 被害を受けている住民と、ほとんど被害はない村民がいる。
しかも基地内に土地をもっている人は、 補償金が入ってくるので、問題をあらだてないでほしいと思っている。
 ひょっとして、自分がオスプレイの下敷き!になるかもしれないのに。

 いまも、島の34パーセントぐらいは、米軍基地なんだそうです。
 戦争の基地と人間の暮らしは、共存しないんですけど、自分の見える範囲で、戦争がなければ、それでいいと。凄惨な体験をしたこの島でさえそれが現実だということなのですね。

 さっき、届いた盛ちゃんのメールによると、今年の大沢酒造かたりべの新酒発表会は、4月27日(日)です。
 宮本先生が見えるはずです。東和もご一緒したいです。
 ついつい、長くなりました。


3月8日(土)


 郡山で「シュレディンガーの猫」を見た。


 最後の場面に、涙涙涙鼻水。福島県立大沼高校演劇部が演じた。
作・演出は顧問の佐藤雅通先生。設定は高校の教室、生徒が7人。

そのなかに、3.11の震災で家族を失い、転校してきた生徒がいる。
生徒同士のやりとりで劇が進行する。
仲間はずれゲームという設定で、演劇はすすんでいく。
ひとりが自分の思うことを言って、共感する人が手をあげる。
自分以外に共感者がいないときに、その人は負けになる。
罰が教室掃除だったかな。違うかもしれない…。

他愛もない質問から入っていく。
実際に劇の中で出た質問は忘れたのだけれど。
「今日朝飯に納豆を食べた人?」(は~い)
「○○のうどんはうまいと思う人?」(は~い)
とこんな感じで劇はすすみ、核心に入る。

「同情はいらない」(みんなの手があがる)
「どんなことがあっても、負けない」(ゆっくりそれぞれの手があがる)
「ぜったいに忘れない」(いっせいにみんなの手があがる)
「それでも、ひとにはやさしくしたい」

最後の質問で、ゆっくりと一人ずつの手があがり、最後に被災したやよいさんの手が、ためらいながら、でもまっすぐにあがる。
家族を亡くし、家を奪われ、日常をうしなった若い人とその人のことを知りうけとめようとする人たちの、いちずな思いがあふれ出し、それがだんだん会場にあふれる。心の奥深いところまで、ひたひたと浸す。滂沱と流れ落ちる涙と鼻水。隣のあきちゃん、マスクをはずして、流れる涙をふいている。

 この日、10時ごろ中山の家をでる。11時8分の山形新幹線に乗り、郡山へ。
郡山着12時19分。34分初磐越西線に乗り換えて磐梯熱海下車(12時50分着)。たまたま別な人たちの迎えに来ていたマイクロバスに同乗させてもらって会場へ。おー、駐車場は大型バスや乗用車でいっぱい。なんか変だ。受付に知った顔がいる。誰だかわからない。(あとで大山さんであることがわかった。以前話を聞いたことがある)。
――「シュレディンガーの猫」は会場がちがうんです。
でもこのあと私行きますから一緒に行きましょう」
そこに森園さんが現れ、

「大山さん! 羽田さん!」
「シュレ猫!わたし今から行くところだったの、
一緒に行く?」

とあいなって、県民大会会場から30分ほど離れたシュレ猫上演会場に着くことができたわけです。
 会場で、あきちゃんに会って、「なんでいるの?」
なんて言われて、かくかくしかじか。
「だからだめでしょ一人で歩き回って」
 
 稀有な体験をした人たちの心情を、体験をしない私たちが
理解することは難しいが、わかろうとすることはできる。
共感共苦する心をもつことはできる。わたしが磐梯熱海経由で、県民大会会場にゆき、和さんの車に乗せてもらい郡山市青少年会館に着き、出会ったあきさんの隣の席で、「シュレ猫」をみることができたのは、神様の采配だった、様な気がするのです。


3月10日(月)

 郡山、一人でもデモをするあきさんの隣で。

 あきさんは、ときどき月曜日の5時から6時まで郡山駅前で立つ。
アピール文を書いたスケッチブックをもって立つ。
そのあきさんの隣で、この日わたしも立った。
ほとんどの人はチラッとみて、見ぬ振りをする。
1秒ぐらい、3秒もない。

そのなかに一人だけ、スーツにコートの60代の男性が、私たちの前まできて、
「ご苦労様です」と言いながら、頭をさげていかれた。
こういうことに励まされて、また立とうと思うんだよね。
あきさんの一人でもデモ、ちゃんと見ている人がいるね。


3月11日(火)

 福島で。
「原発いらない福島の女たち」の原発いらない地球いのちのつどい第3回に参加。

 11時から、AOZから福島県庁まで往復デモ。

 タイベックスを着て、ミンジャさんのケンナリをたたかせてもらって、
 わたしてきに初のサウンドデモ。

 プンムルの集団は、チャンゴが3台、ケンナリ3つ。せっちゃん、あきさん、
ファリョンさんがチャンゴをたたいた。
つどいは、福島駅前AOZ4Fで。14時から18時半。

 福島の現状を、6人の女性たちが報告した。
これを聴いても、まだ「再稼動」とあなたたちは言うんだね。
集会の様子は、ユーチューブで見ることができる。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
2013年4月18日(木)

 きょうは電話が多い日だと思いながら、受話器をとりあげる。オランダユトレヒトにいらっしゃる難波收さんからだった。「今東京です、娘ののり子といっしょです」。「まあ、難波さんお元気でしたか。時間があればホテルにお訪ねします」。3年ぶりかもしれない。
 お会いした難波さんは思った以上にお元気でした。末期のがん患者とはとても思えない。日本語もできる娘さんが、2週間の旅に付き添っていた。丸山ワクチン服用の経過報告もあり日本にこられた。大腸がんの手術をうけたが、去年の4月ごろ再発を告げられた。4月から6月にかけて、抗がん剤を投与されたが、「これ以上つづけても意味がない打ち切りにします」と主治医に告げられた。「なにをいうか、こんちくしょう」と思って、丸山ワクチンの投与を受けるために、昨年の7月日本にきた。
 
 結果的に、西洋医学の主治医が匙を投げたことは、丸山ワクチンの選択につながり、少しではあるかもしれないけれど症状の好転になった。内海愛子さんも交えて、いっしょに夕食をすることができた。

「日本に最後のお別れの旅です。これから岡山に行って(故郷が岡山)友人たちに会って、そのあとは京都に行き、日本の大地にキスしてお別れします」
 難波收、86歳、なんと、粋な別れでしょう。

「もしかして、お元気でしたら来年桜の季節にまた東京でおあいしましょう」
 難波收さんがどういう方か、次回に書きます。

2012年3月28日
イサムさんがいなくなる前の日に、息子直人のところに男の子、杜真(とおま)が生まれた。今日で生まれて4カ月と6日。杜真のお母さんゆきちゃんは、生まれる前日夢をみた。年取った、髪の長い男の人が光る玉をこちらに差し出している。傍らに比較的若い小柄な女の人がいた。ゆきちゃんは目覚めて誰だったか考えた。「イサムさんだ」と思い至った。――イサム自身は年取った男なんておれじゃないよ、というかもしれないけど。傍らにいたのは、イサムの娘のカヌカかもしれないし、むるかかもしれないし、青かもしれない。
 そのとき、イサムはあっちの世界とこっちの世界を行ったりきたりしていたのだろう。そしてたぶん、こっちの世界に来る杜真に光るものを託そうとした。杜真に光る未来を渡そうとしたかもしれないし、もっとたくさんの人へのメッセージだったかもしれないし、多くの人の未来に光る玉を受け渡そうとしたかもしれない。イサムは多分今も、あっちとこっちを行ったり来たりしていて、「そっちも楽しそうじゃない?」なんて言ってそうだ。

そう、イサムの本作りで楽しんでるよ。

イサム絵2


2012年3月20日(火・祭日)、『イサム・オン・ザ・ロード 新版』の打ち合わせに、新幹線を相生で乗り換え、郡山駅に降りる。カヌカと青が車で迎えに来てくれていた。わたしは彼女たちの「トウキョウにいないトウキョウのおかあさん」ということになっているが、ほんとうは、マジョの集まりのようなこの家のどちらかというと姉妹のような存在だと自分では思っている。
だって、とてもあのあらしのようなエネルギーの娘たちのははにはなれないもの。どちらかといえばわたしは、しっかりものの長女、カヌカの指示出しを待つ妹のような精神の状態なのですから。
古民家をリフォームした大きな家には10分もかからないで到着、和子が迎えてくれた。おだやかな海のようなマジョだ。あのイサムと長い旅をしてきた。これからは和子の新しい旅―。

イサム絵1


この家の敷地は約2000坪だという。南に面して大きな庭があり、石灯篭がある。家の壁はこれから修復をはじめる。この辺の昔からの施工方法焼杉板を張りたいと、しまいたちは思っている。耐久性が高まるし美しい。板をバーナーでは焼きたくない。
家の西側には大きな木が2本立っている。確か実がなる木だったと思うのだが…。
家に入ると、ひろーい土間が付いた台所、天井は太い梁に支えられている。梁からは、天を衝いて立っていたときの何かがいまも流れている。見上げるたびに感じる何か。この家を行ったり来たりしている人を見まもっている何か。梁の上にひそっと座っている誰か。
一番最初に個展で買ったイサムの絵は、シルクスクリーンの「命の樹Ⅱ」。絵の中に葉を茂らせた1本の木がある。和子が言うには、「この木はみているとどんどんどんどん伸びていくんだよ」。梢をみつめていると、どんどんどんどん伸びていく。木の命が伸びている。この絵を梨の木舎の窓辺に通りに向けておいている。道を通る人が楽しめるように。梁になった木と、絵になった木が400キロを隔ててコラボレーションする。
土間に入る右手がお風呂場になっている。五右衛門釜、板張りの湯殿と脱衣場、イサムさんもこのお風呂がしごく気に入っていたね。
母屋の東北には竹林が広がっている。北側には土蔵があって、
2階はイサムの仕事場だった。1階が収蔵庫になっている。
和子は、1階はイサムの絵を展示し、2階は、オープンスペースにしようと思う。みんなにイサムに会いに来てほしい、そして出会いの場になればいい、と。母屋で、コーヒーとケーキと、軽いランチが出せるといいいね。畑から摘んだ野菜を使って季節の定食はいかが? 玄米ごはんで。

イサム絵3


イサムさん、4月7日の77回目の誕生日に、『イサム・オン・ザ・ロード 新版』は間に合いそうだよ。堺町画廊、楽しい会になるね。
2011年3月11日、震災、原発事故。原発のいらない暮らしを私たちの社会は選択できるだろうか。イサムは次ぎの世代に、未来を託したんだね。それを、わたしなりに考えていくよ。マジョのしまいたちとね。(はた)
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