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著者の高嶋伸欣さんから、ご報告をいただきました。
『午後にリャンコートの紀伊国屋店に行ってみました。『シンガポール』は入口近くに置いてありました。』

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目立つところに置いていただいています


singaporekinokuniya2_400421.jpg
POPも活躍


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2016/06/28 16:32 アジアへの旅 TB(0) CM(-)
東アジアの辺境地を歩く2 女子大学生がみた日・中・韓の「辺境地」



2016年5月21日(土)

 新刊ができました。
『東アジアのフィールドを歩く2――女子大学生がみた日中韓の「辺境地」』
李泳采・ 恵泉女学園大学東アジアFSグループ [編著]


ISBN978-4-8166-1605-1 C0022 ¥1600E 112ペイジ【50頁カラー】
 定価:1600円+税  

 出会いと発見と新しい未来がほの見えたであろう若いひとの体験記。

 女子大学生が見て歩いて感じた東アジアの辺 境地11日間の奮闘記だ。

 緊張や葛藤がますます高まっている東アジアの中、女子大学生らが自ら日中韓の辺境地を訪問し、
歴史や 文化を訪ねた。彼女たちは何を見て、何を食べ、誰と話し、どんな風に感じたか。
 
●修学旅行の参考資料●国境を越える市民活動の書として、利用していただける。
 
旅はいつも楽しい、少し苦しいこともあるけれど、新しい出会いにあふれている。


恵泉の学生たちほんとうにいい旅をしている。
イ・ヨンチェ先生と職員の土屋昌子さんのアテンドも、実にゆきとどいている。

ところで、ブログにアップした
カバー写真ですが、どんなに頑張っても、縮小できない。

な~にこれ?かもしれないけれど、
来週ちはるさんになおしてもらいますから、
大画面を許容してください。 はた

追記:
●写真、小さくしてみました。(ちはる)
●2014年の第1弾の旅について↓
『東アジアのフィールドを歩く 女子大学生が見た日・中・韓のすがお』







2016/05/21 12:06 アジアへの旅 TB(0) CM(0)
 10月4日 9時半 
中央研究院の台湾史研究所にいる鐘淑便さんのところへ。立派な建物、準備に21年かかって、2004年に完成したという。
 ということは、1983年から準備をはじめたということ。
 鐘さんの台湾史研究所で、資料をみせてもらい、コピーをお願いした。
別棟の近代史研究所当案館で、政府の外交関係の資料のコピーを依頼した。
コピー、全部で、1541枚×3元=4623元(1万3869円)
4人で、手分けして日本へ持ち帰ることにする。
 お昼 研究所近くの食堂で、5人で500元。サンラータンと汁なしのラーメンの上に具がのっているもの。美味しい。
5時半から、木村さんの出版記念会台北大学医学部国際センターの2階で。
ちいさいけれど、心のある出版記念会だった。丸テーブルに次から次へと料理が載せられ、堪能。翻訳者は、80を過ぎた教授。180冊も著書があるという。

10月5日(火)
朝、8時40分にYMCAに。
8時50分に内海さん、9時に木村さん。一緒に、永案市場へ。ふじゑさんと待ち合わせて、台湾国立図書館分館へ行く。受付でカードを作ってもらう。ふじゑさんはすでにもっている。手続きはいたって簡単だが、でもふじゑさんがいなかったら、未知の体験、やらないかもしれない。
 インフォメーションにいくと、日本語のできる人がいて、教えてくれる。所定の用紙に記入して、受付に出して、カードをつくってもらう。永久に使える。カードは永久でも、わたしは、20年もつかどうか。ボルネオ、クチンの国立図書館でもカードをつくってもらった。
 台湾総督府文書は6階にあり、何十もの棚に資料がぎっしり収められている。
 面白そう、ここに通って論文が書けそう? なにを書くかそれが問題。
 
 内海さん、ふじゑさんより一足先に図書館を後にして、YMCAへ。わたしと木村さんは今日日本に帰る。近くの屋台で、家へのお土産。キャベツ万頭とニラ万頭2つずつ(1つ12元)、油飯1人前(50元)、ウインナ2本(1本37元)。しめて172元(日本円で516円)。
 YMCAに、11時15分に到着。
 木村さんを待ち、タクシーで飛行場まで、1000元(約3000円)。
 台湾、4泊5日の旅はおしまい。スーツケースのなかにはお土産にいただいたウーロン茶と竜眼とコピーされた過去、出会った人たちと過ごした時間。
 そして、また別の旅が始まる。
 







2010/11/12 18:51 アジアへの旅 TB(0) CM(0)

10月3日 朝
チェックアウト後、ホテルからタクシーを拾って、戦争中台湾人BC級戦犯に問われた劉さんを探して文化区へ行ってもらう。
 ラバウル・マヌス会の名簿を頼りに住所を尋ねて呼び鈴を押す。40代と見える寡黙な男の人がドアをあけた。わけを説明すると招じ入れてくださった。  彼は劉さんの息子だった。程なく彼の連れ合いがでてらした。つまり劉さんの息子の嫁。夫とは打って変わった明るく開放的な聡明な人、(夫が聡明じゃないというわけではないけれど)だった。劉さんはすでに亡くなられていた。日本から尋ねてきたということに感動してくださった。
 近くのレストランでのお昼に誘われ、断るすべも知らず、ご一緒した。お昼をいただいているうちに雨と風、基隆というところは雨が多いところらしい。 タクシーを拾ってもらってお礼を言って分かれる。
 基隆駅から、バスに乗り、金瓜石へ。金瓜石まで1時間20分。ここは、金鉱跡を保存し、地域一体型博物館になっているのが特徴。
入場無料、地域の人たちがボランティアで関わる。雨にも関わらず、お客は多い。家族連れやカップルやさまざま。日本の占領時代の4軒長屋も保存(再建?)
されている。日本の皇太子(つまり昭和天皇)の訪問のために建設された和風建物も残されている。わたしたちのここに来た目的は別にある。
 
 おばあさんとあった。
 捕虜の碑にはどういくかを聞いた。
 「すぐそこですよ。
 案内してあげますよ。
 ほら、あそこに見える、なんて言ったっけ…。
 ああ、ちょっと待って、案内します。
 階段が多いんですよ。
 今、娘が台中にいてね、いま帰ってきたところです。
 ひどい雨でしたね。
 ここです。
 毎年、10月だったか、11月だったかな、捕虜の人たちが来て、式典をやっていますよ。
 ここに、ずーっと捕虜の人たちの建物があったんです。いまはないですね。
 戦争終わったときは、16歳か17歳でした。いまは、83歳です。
ここ(お店があるところ)は、銀座通りっていわれて、にぎやかだったんですよ。」
谷へ向かって、斜面に張り付くようにして作られた集落。金山の労働者が住んでいた。
おばあさんのお父さんは、何をしていたのだろう。

台北へ帰るバスはなかなかこない。
台北へは、待ち合わせに1時間遅れた。木村さんは、近くで買い物をしながら待っていてくれた。内海さんは、ちょうどYMCA にチェックインしたところ。4人で、近くの屋台で食事。期待はずれのサンラータン。おなかはみたされないまま眠りにつく。
2010/11/12 18:39 アジアへの旅 TB(0) CM(0)
 10月2日
林阿貞さん訪問。永安市場。
数々の資料、ビデオ、軍歌を、見たり聞いたり、歌ったり。
山中貞則は,高砂族の人たちの村まで行って、大歓迎を受け、「戦争中たいへんご迷惑をおかけしたみなさんに申し訳ない」と、お詫びの演説をしている。

 林さんの太太の心づくしのお昼をいただく。やっぱり女はたいへんだ、夫のお客のために自分の時間を割いてお昼の食事をだしてくれる。一緒に食べることもなく。スープに焼きそば、ビーフン炒め、デザートのマンゴー超美味しかった。林さん宅を辞し、看護婦としてマニラに赴任した黄淑椴(糸へん)さんを訪ねる。老人ホームにいらっしゃる。2時過ぎにおじゃまして、失礼したのが、6時過ぎだった。
 永安市場から、基隆行きバスに乗る。
土曜日の夜の基隆港、ウォーターフロント。港にたくさんの人が集まって、休日を楽しんでいる。
 北都ホテルに宿をとる。ツインで3160元。広い部屋、目の前が市庁舎。
2010/11/12 10:25 アジアへの旅 TB(0) CM(0)
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