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ミナガちゃん

Author:ミナガちゃん
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2016年8月2日(火)
 明け方猛烈な目が降った。すっかり涼しくなった通りを水道橋駅に向かう。今日は、保健所で「食品衛生責任者」
の講習をうける。

さて新刊は、
 シリーズ・平和をつくる6
『アングリーヤングボーターズ 韓国若者たちの戦略的選択』李泳采 イ・ヨンチェ 著 
ISBN978-4-8166-1607-5 定価1700円+税

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 韓国では、今年の4月13日に行われた総選挙で、誰もが予想しなかった与党の大敗、野党の勝利をもたらしました。
野党の勝因は何か。日本の参議院選は、残念ながら予想通り、野党が敗退した。
東京都知事選挙も、野党4党の推薦にもかかわらず鳥越俊太郎は敗退。
安倍政権反撃への千載一遇のチャンスを逃した。と思うのだが。
斉藤美奈子の指摘は厳しい(東京新聞 2016.8.3)。――

だからこの本は、「2章 韓国の歴史的な4・13総選挙と若者たちの戦略的選択」がウリです。
著者のヨンチェさんにとっても読者に2章を読んでほしい。
日本のメディアが取り上げない視点から、韓国の政治地図を描き、深層に迫る。
韓国の進行中の政治の只中に立っているような緊張感で惹きつけられる。

しかし、「1章「民主化」後を生きる者として――「T・K生」と東アジアの状況について語る」には、深く共感する。
15頁、ヨンチェさんが、大学に入った年1991年の4月26日のこと、明知大学の1年生姜慶大(カンギョンデ)が
警察に鉄パイプで殴られて亡くなった。
その後1カ月の間に、12人もの若者たちが次々に焼身自殺し、ヨンチェさん自身も遺書をもち歩いた。
これは講演記録だが、その学生運動に触れたとき、会場は一瞬静まり返った。その場にわたしもいた。

 最終の大判校正を昨日印刷所に入れたのだけれど、印刷所から目次の校正ミス3カ所の指摘があって、直してもらった。
 まずいなあ。――7月29日誕生日を迎え、一つ年を重ねた。

 1週間前の7月24日(日)朝8時半の特急あずさで、塩山へ向かった。
 金子文子没後90年の文子忌に参加のため。韓国から金昌徳(キムチャンドク)さんたち9人が見えるという。李文昌(イムンチャン)先生も見えるらしい。ご高齢なので、最後の日本訪問かと。
        *     *     *
 1923年9月3日、関東大震災の2日後、金子文子は、予防拘禁の名で、朴烈とともに検束された。
 翌翌年の1925年7月17日、刑法73条と爆発物取締罰則違反で予審起訴される。
 旧刑法第73条は、「天皇…にたいし危害を加えんとした者は死刑に処す」、というもの。

 行動しなくとも、計画しただけで死刑。実際文子は、爆弾を用意する計画に加わってはいなかったらしい。
 しかし、「人間は人間として平等であらねばならない」と、
あらゆる権威権力とその頂点にいる天皇を、きっぱりと否定した。改心を判事から迫られても敢然と拒否した。

 「権力の前に膝を折って生きるよりはむしろ死してあくまで自分の裡に終始します」
大逆罪に問われ、1926年3月25日、死刑判決を受ける。のち恩赦により無期懲役となるが、獄中で死亡する。
 わずか23歳だった。
 文子さんは、獄中で「何が私をこうさせたか」という生い立ちの記を書いた。
 鈴木裕子さんが解説をつけて、梨の木舎で刊行したのは、2006年。
 
 梨の木舎刊の書名は、『金子文子 わたしはわたし自身を生きる〔増補新版〕』です。
 特急あずさの中で、久しぶりに本書を読んだ。悲しく悔しく心が震える。心から読者に薦めたい。
 
 彼女の表現力と権力とたたかうゆるぎない姿勢に、ひきつけられもし、たじろぎもする。
 彼女の抵抗の根底にあるのは、朝鮮で実の祖母からうけた差別・虐待と1919年3・1運動に遭遇し、
差別された朝鮮人のたたかう姿をまじかに見たこと――。
 そして、姜慶大と12人の仲間を失った若いヨンチェさんの体験――。
 そして塩山での文子忌を呼びかける佐藤信子さん、呼びかけに呼応して韓国からみえる異李文昌先生たち――。
 時間と空間を超え、出会って生まれるものがある。

 『何が私をこうさせたか』1931年に春秋社から出版された。このときに作家の林芙美子が推薦の一文をよせている。
 これは、あとでぜひ紹介したい。

 ★あめにてぃCAFEレディゴー②★
 
   新店舗の工事が、着々と進んでいます。
   天井を落とした後、塗装やさんが入り、天井塗りがほぼ終わりました。
   写真をアップします。
 
ceiling1.jpg
照明をはずして・・・

ceiling2.jpg
天井をはずして・・・

ceiling3.jpg
塗装したところ。

 新住所と電話番号は以下です。
 千代田区三崎町2-2-12エコービル1F
☎03(6256)9517 FAX03(6256)9518
 

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2016/08/04 08:41 平和を考える TB(0) CM(0)
2015年8月2日(日)

(2015年7月5日付け 投げ込みより)
 
教科書に書かれなかった戦争 PART63 をお送りします。

『朝鮮東学農民戦争を知っていますか? ――立ちあがった人びとの物語』

 著者:宋基淑(ソンギスク)訳者:仲村 修
推薦:中塚 明 漫画:大越京子
ISBN978-4-8166-1504-7 定価2800円+税

 まさに、教科書に書かれなかった日清戦争と東学農民戦争です。日清戦争は、日本と清が朝鮮を支配しようと、朝鮮
半島で争った戦争でした。がさらにもうひとつのシーンがあります。清が日本に負けて朝鮮から撤退したあとも、日本は
居座って、朝鮮政府を手中にして、今度は農民軍を殲滅するのです。

 つまり登場するグループは、朝鮮の農民、朝鮮政府、清、日本です。最初は、朝鮮農民と朝鮮政府の争いでした。し
かし朝鮮政府が清に援軍を頼むと、日本も介入した日清の争いになり、清が撤退すると日本の矛先は農民軍に向けら
れ、殲滅作戦が繰り広げられ、日本が朝鮮で覇権をもつことになる、ここまでが日清戦争です。
 本書は自分たちの生活を守るために、朝鮮の世の中を変えようと、立ちあがった朝鮮の人びとに焦点をあてています。侵入してきた日本軍とどうたたかったのか、イルトンとマンスとオクプニという3人の男の子と女の子を登場させています。

翻訳本を出すにあたって、梨の木舎では原本にない漫画5頁をいれました。そこには日本の女の子ゆいちゃんが登場しま
す。若い人たちに図書館から借りて読んでほしい。だから学校図書館のみなさん、この本をいれてください。

 本文にはハングルのルビをつけ、脚注もつけました。読めない漢字がたくさん出てくるので、どうしようかと編集の長谷川さんと話し合いました。ハングルのルビをつけるのは、訳者も組版の人もそれぞれに時間のかかる仕事でした。

 でも読めない字をそのままにするわけにはいかないし、これで韓国語に関心をもってくれる人がいるかも知れません。
 
  ご近所の出版社高文研がだしている『東学農民戦争と 日本̶もう一つの日清戦争』̶  いい本です、版を重ねています̶、-「日清戦争」ってこうだったのと知り、著者の一 人、朴孟洙さんから東学農民戦争の思いが光州の民主化 運動に受け継がれていることを知りました。
 『明治日本の植民地支配̶̶北海道から朝鮮へ』(井上勝生 岩波現代全書)で、容赦ない日本軍の実態を知りました。1894年10月27日、大本営は「悉く殺戮すべし」という命令を出している。殺された人は、およそ36,000人とされ、さらに討伐で数万人が殺されました。衝撃だったことがもう一つ。日本兵の話ですが、我が子を殺害して従軍した赤貧の後傭兵がいたということです。

 1998年10月、来日した金大中大統領の日本の国会の演説で、「アジアにも西欧に劣らない人権思想と国民主義の
思想がある」として「人すなわち天なり」という東学の平等思想に触れたことは井上さんが紹介しています。

 そして韓国で東学の人たちの名誉が回復されたのは、さらに6年後の2004年でした。本書の巻末で中塚明さんが触れられています。

 「長らく東学農民戦争に参加した農民は「乱民」とされてきました。しかし、1980年代の韓国民主化運動のなかで東学農民軍の歴史は見直され,2004年には「東学農民革命軍の名誉回復に関する特別法」が制定されました。」

 宋基淑さんは、1980年の光州民主化闘争の時、逮捕され服役しています。著書『光州の5月』(藤原書店)に次のようなこと
ばがありました。「過去をきっちり厳正に精算できない国には、本当の未来も望めない」

 訳者あとがきで仲村修さんは、その後の東学の人たちのことを書いています。3.1運動につながり、童謡「パンダル」を生み、今も歌いつがれていることを。

 井上さんは松山市のシンポジウムであった農民運動家の言葉を紹介しています。「愛媛の農民に2度と鉄砲を担がせないこと。そのために私は参加してますよ」
 現在国会では「平和安全法」という名の「戦争法」を審議中(と言えるかな?)です。日本の若者に二度と鉄砲を担がせないために、行動しましょう。あらゆる戦争は、平和の名のもとに行われ、若者が消耗品として扱われるのですから。    

 この本のサブタイトルがなかなか決まらなかったのですが、ふと思いつきました。「これは、理不尽にたいして、ひとりひとりの尊厳をかけて立ちあがった人びとの物語なんだ」と。そう考えると、いま、国会前で、それぞれの地域で、政府の横暴にたいして立ちあがっている人びとも、この流れのなかにいる。朝鮮の農民たち、イルトンやオクプニに、力をもらったような気がしませんか?
           
 

2015/08/02 02:33 平和を考える TB(0) CM(0)
2015年2月2日

 うちにはテレビがない。だから、NHK年末の紅白歌合戦はみていない。
 ユーチューブで、さざんのピースとハイライト を、観た。
 おーお! 大観衆! すご~い。下にあらためて引用。

歌手:サザンオールスターズ
作詞:桑田佳祐
作曲:桑田佳祐

何気なく観たニュースで
お隣の人が怒ってた
いままでどんなに対話(はな)しても
それぞれの主張は変わらない

教科書は現代史を
やる前に時間切れ
そこが一番知りたいのに
何でそうなっちゃうの?

希望の苗を植えていこうよ
地上に愛を育てようよ
未来に平和の花咲くまでは…憂鬱(BLUE)
絵空事かな? お伽噺かな?
互の幸せ願うことなど

歴史を照らし合わせて
助け合えあたらいいじゃない
硬い拳を振り上げても
心開かない



色んな事情あるけどさ
知ろうよ 互のイイところ!!

希望の苗を植えていこうよ
地上に愛を育てようよ
この素晴らしい地球(ふるさと)に生まれ
悲しい過去も 愚かな行為も
人間(ひと)は何故に忘れてしまう?

愛することを躊躇(ためら)わないで

http://www.uta-net.com/movie/150317/

 おっと、大変、台湾に。飛行機に遅れる。

2015/02/02 06:50 平和を考える TB(0) CM(0)
2014年6月12,13,14日
川内原発を動かすな!ーー
鹿児島県川内原発ストップ再稼動!に参加。
 
 6月12日(木) 神保町から2時間、成田空港についたのは集合時間の12時。
雨も止んだ。前方にそれらしき一団がみえる。
 乗るのは午後14時30分発のジェットスター、かなり早い集合時間の設定。
 なんだか殺気が漂っている。百数十人も乗るのだから主催者側は、緊張気味、らしい。

 木幡ますみさん、木田節子さん、も一緒。
 彼女たちは、福島で被災し今は呼ばれれば全国にでかけ体験と福島の現状を語る。 
 木幡さん、会津若松を早朝にたって来た。
 「上野で1本のり遅れちゃってね」。ゆる~い雰囲気があって緊張を感じさせないなんだ。

 荷物検査のゲートを入ってから、木幡さんはケータイ電話で、話し続けている。
 「長い電話だったね」
 「避難している女性から5歳の息子のことで相談だったんだ。子どもさんに発疹ができて、
体中に広がり、痛がるしかゆがるしたいへん。保育園には、1カ月のうち半分ぐらいしか通えないって」

 お医者さんに罹っているが、福島原発から避難してきたことを話すのだけれど、
ちゃんと聞いてもらえない。
 木幡さんが、同じ症状だったという。もともと肝臓はよくないんだけど、
 「去年肝臓の数値があがって、下痢も続いてね、発疹もでた。それがかゆくて痛いんだ。
ようやくおさまると黒く色素が沈着して痕が残るんだ」

 ズボンをすこしあげてみせてくれた。足首のあたりに黒っぽい部分があった。

 「いまのお母さんに私もそっくり同じだって言ったの。会津に移っておいで、
みてくれるお医者さんがいるから。こういう症状の人が何人もいるんだよ 」

 そういえば思い出した。知り合いで、劣化ウラン弾で被爆した人の手が同じ症状だった。
   
  鹿児島空港から、県庁前まで貸切バス3台に分乗して、鹿児島県庁前に向かう。
  桜島が目の前にみえる。 
  今日の南日本新聞に、噴煙が4500メートルまであがった、こんなところで原発再稼動をしていいのか、
 という1面トップの記事があった。

 バスで県庁へ行く途中、山の木々が青々とさえ、高くのびている。
 県庁前で路上記者会見し、集会をして8時にそれぞれ3箇所のホテルに荷物をおろし、今日のスケジュールは終了。
 
 友人3人とタクシーで、鹿児島の繁華街天文館に。
 「わかなー我愛人」という運転手さんお薦めのお店でビールを一杯、
ここにきたら焼酎を飲まないと、焼酎も一杯。今が旬の首折れさばは売り切れだった。
 
 翌日は、7時50分に県議会傍聴のため並ぶ。傍聴券が配られ、わたしは17番。
 席は147席だったかな。計算上は入れる。
 
 議会棟の壁には、模造紙が4枚ほど貼られて、服装、帽子、持ち物など事細かな注意事項。
 昨日貼ったみたいだ。しかし結論、県外のものは入れません。そんなのありかな!
 なんと1時間ほど並んだのですが、議会棟をあとにしたのです。         

 議会事務局は、かなりの数の動員体制をしいていました。税金をどこに使うのか。
 どっちに向いているのか、よくわかることを数限りなく体験させてもらってます。
         
 議会は、県知事の挨拶のみで終り、市民側はそれぞれの議会会派に要請行動をした。
 わたしはたまたま無所属の議員への要請行動に参加することになり、
成田から同行していた広瀬隆さんも加わった。
 無所属は3人だそうで、下嶋さんという30前後かと思われる議員が一人だけ対応した。

 要請文を手渡したあと、広瀬さんが言ったことが印象に残っている。
 「電力会社は、経済的な問題が一番ネックで原発をやめられないんです。
 原発をやめたら交付金がでなくなる。しかし、廃炉を決断したら、廃炉のために何十年もかかるんです。
 仕事は続くんです。そのために電気料金をあげなければならないなら、わたしたちが引き受けます。
 計算してみましたら消費者側の負担はタバコ一箱ぐらいの値段なんです。
 廃炉の決定ができるのならみんなを説得します。
 ドイツは脱原発を決められたんです、わたしはドイツに行き取材もしてきました。」

 この提案に「なるほど」と思いました。下嶋さんも聞いていました。
 具体的な一つの方針ですね。多分以前から広瀬さんは提案してこられたんでしょうね。
 わたしは初めてしりましたが、こういう説得をしなきゃいけない、と思いました。
 推進する側の人たちのなかに、これを理解する人がきっといるはずだと思います。

 わたしも発言を求めて、木幡さんのことを念頭に話しました。
 「わたしは東京からきましたが何が起きているのか福島の女性たちに話をきいています。
 鼻血どころではなく、全身の発疹で痛くてかゆくて眠れないという子どもたちの話を聞きました。
 そしてそういう話は隠蔽されて外に出てこないんです。いったん事故が起きれば、
取り返しのつかないことになります」

 そして、いまここで付け加えたい。
 「下嶋さん、7月に下嶋さんも質問をされるということですが、
 どうぞ、自分の頭で考えてくださいーーこれってカントがいってるんですけどね。
 生きるために大切なことって、時代が移っても変わらないんですね。
 私たち、東京から全国からあなたの行動を見守っています」
                  2014,6,16
2014/08/06 19:41 平和を考える TB(0) CM(0)

12月1日(土)
 谷あいの村から、水蒸気がゆっくりゆっくりと登ってくる。妙義山のごつごつした山頂を過ぎて下仁田までの山間にたたずむ村の一つ。光によって、きれいな水色に染め上げられた水蒸気がじわりじわりと山によっていくように登ってきて、山の端に消える。それはまた、やがて雨になって落ちてくる。名残の紅葉が今日は幻想的で気の遠くなるほど美しい。青い空は、天の10分の1くらい残っているだけで、あとは厚い雲に覆われていて、そのせいなのか、日差しが黄色味を帯びている。この世ではないような眼前の光景。この景色のなかに身を浸しながら、1時間半を過ごす。ときどき居眠り、やがてバスは上里サービスエリアに停まる。バスで、碓氷峠をこえる贅沢はわたし一人が楽しんでいる。

今日は、「秘密機関・白団~台湾に渡った旧日本軍人たち~」を観るために東京に来た。
NHKが、1992年につくった番組で、制作にかかわった東野真さんが背景などを話した。台湾に逃げた国民党蒋介石の軍事顧問団として、岡本寧治が登場する。岡本は、元陸軍大将。1941年以降北支那方面軍司令官として華北の八路軍・抗日根拠地への作戦を指揮する。中国での戦争の残虐さを私たちは、数限りなく読み聞き、映像で見ている。
日本の敗戦、45年9月9日、岡本は南京で降伏文書にサインしている。戦犯に問われるが、1949年1月26日岡本寧次は、なんと上海の軍事法廷(中華民国)で無罪の判決をうける。
蒋介石は、日本の武器や軍事情報と引き換えに岡本を放免した。共産党との泥沼の内戦が進行していた。
 前年48年11月12日には、東京裁判の判決を受け、東条英機以下7人が絞首刑にされている。
 49年7月には、日本に帰った岡本を、台湾の曹士澂が訪ね、国民党支援を要請する蒋介石の書簡を渡す。
9月には「白団」の盟約書が交わされ、12月14日、白団第一陣を乗せた貨物船が深夜横浜港を出港する。
1950年6月22日には、ダレスが来日し、吉田首相に再軍備を迫る。6月25日朝鮮戦争勃発。51年再びダレスが来日。2月3日、再軍備に関するメモがアメリカ側に手渡される。 
 1945年8月15日に敗戦し、アメリカの占領下で、1946年11月3日日本国憲法公布、
1947年5月3日施行された。戦争放棄を掲げた憲法だった。しかし、憲法を創案したアメリカ側では、50年6月には、日本に再軍備をせまった。
 日本のサンフランシスコ平和条約、社会復帰と引き換えに、警察予備隊がつくられ、日米安保条約が調印される。つまり、日本は、私たちの社会は、独立と引き換えに再軍備の道を歩んできた。東野真さんたちNHKの番組は、1992年、今から20年も前につくられていた。「知らなかった」、なんとおめでたいことか。愕然。
 いま安倍晋三は、自衛隊を「日本国防軍」に変えようと、臆面もなく言ってのける。
2012/12/04 12:07 平和を考える TB(0) CM(0)
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