出版活動を続けながら、地域の人々や世界の人々と情報と知恵を交換していきたと思っています。梨の木舎らしい日々の思うこと、考えることを発信します。
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ミナガちゃん

Author:ミナガちゃん
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2018年2月5日(月)   

新刊は、
旅行ガイドにないアジアを歩く 増補改訂版『マレーシア』
高嶋伸欣関口竜一・鈴木晶・ISBN978-4-8166-1801-7 
 
 2010年に初版を刊行してから、8年で完売しました。増補頁をカラー8頁で、
口絵写真も改訂し、本文32頁をカラー頁に変えました。新装増補改訂版を、
皆さんのもとにお届けします。

マレーシアを、修学旅行先に選ぶ学校は、この間増えているということ。
マレーシアといえばカンポン(田舎)。豊かな自然のなかでのゆったりした暮らしは、
ラットさんの『カンポンボーイ』の漫画で、知られました。
翻訳されたのはかなり前ですが、今もまだ注文できるようです。
ラットさんのあのタッチ、いいですね~。私も大好きです。

 で、それだけにとどまらない
マレーシアと日本が深くかかわった時代のことを、小社のマレーシアは扱っています。
マレーシアは多民族国家です。他民族との共存は、日本人にとっても避けて通れないテーマです。
なぜ多民族国家になったかということは植民地化と関係があります。
イギリスの植民地統治を利用して、日本はマレー半島を支配します。
どんなふうに?それは本書で読んでくださいね。

        ★

2017年2月13日北朝鮮の故金正日総書記の長男で、金正恩の兄、金正男が
マレーシアの首都クアラ・ルンプール国際空港で殺害されました。
白昼公衆の面前での殺害、ニュースは世界を駆け巡り、クアラ・ルンプールが脚光を浴びました。
この時、マレーシアの隠された面がちらと見えました。

 30年近く前のことですが、友人ののりこさんとシンガポールから長距離バスで、
マレーシアを訪ねました。ジョホール水道を渡り、ジョホール・バルを経由し、
マラッカにたどりつきました。途中同じバスに乗りあわせた日本人の吉井さんが、マラッカのニョニャババ料理の店に連れて行ってくれました。はじめてのニョニャババ料理でした。
ニョニャババ(nyonya baba)とは、マレー系女性と中華系男性の子孫たちがつくった独自の文化です。
料理もその一つ、国際結婚の賜物ですね。
そのときどんなものをいただいたのか全く記憶していないのですが。
屋台で、白髪を一つにまとめた中国人のおばあちゃんがラーメンをつくっていました。
「あんなふうにしてここで一生過ごしたいです」ときどさんが、言いました。
ファンタジー作家ののりこさんですから、そういう人生もあるかもしれません。
30数年前の出来事、もう一度のりこさんを誘って旅に出てみましょうか。

         ★

 上田の母の家をたたむため、この3カ月、引っ越しを続けています。
荷物を片付けては、自分の車に積み込み、引っ越し先でおろして戻る。何往復したでしょう。
 2018年1月27日28日は、日本全国冷え込んで、ストーブをふたつ炊いても部屋の中でさえ、
5度以上にはなりません。引っ越し先の佐久市望月町はより寒く、ほぼ家の中で0度。
外気温、朝は-10度から-15度にも下がるのです。
 凍える中での一人作業、ダウンの長めのコートに、ネルのかっぽう着を重ねて、
毛糸の帽子をかぶり、手袋をして。ああ、身動きが取れない…。

 こんな時思うのは、満蒙開拓青少年義勇軍の子どもたちのことです。
親元を離れて、食べるものも十分になくいつもおなかを空かしていた。
今の中学2年生、14、5歳の子どもたちです。
 教科書に書かれなかった戦争シリーズPART6『先生、忘れないで!――満蒙開拓青少年義勇軍の子どもたち』で、
著者の陳野守正さんが送り出しから、日本の敗戦による終焉までを、多くの人へのインタビューを重ねてまとめられました。
 
 結局のところ、子どもたちを戦争に動員し、北辺の守りに着かせたわけです。
8万人余が動員され、2万人余が亡くなりました。国家の犯罪ではなくて何でしょう。

 しかし、これって過去のことではありません。4月から道徳教育が正規の科目になります。
文科省は、教育勅語も教材としてわるくないと言ってます。
「国のために尽くす子どもたち」を養成しようとしているのです。

 長野県阿智村の人たちがつくった、「満蒙開拓平和記念館」は、歴史ときちんと向き合う歴史記念館です。
『先生、忘れないで!』もそこに置かせていただいてます。(『先生、忘れないで!』4刷の在庫、あります)




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2018/02/06 08:00 新刊紹介 TB(0) CM(0)
2017年

7月14日(金)
 
 今日も暑い、半年ぶりのブログです。
 もう少しまじめに書きます。
 新刊が好評で、追加の注文をいただいています。
 
 その新刊は、
 教科書に書かれなかった戦争PART66
『歴史を学び、今を考える――戦争そして戦後』
内海愛子・加藤陽子/恵泉女学園大学平和文化研究所・戦後70年特別座談会 
ISBN978-4-8166-1703-4 C0021 定価1500円+税
 
 内海愛子さんと加藤陽子さん。
 お2人の講演を、2015年5月30日、私も恵泉女学園多摩キャンパスで聞きました。
 学生だけではなくシルバー世代も参加していました。
 加藤陽子さんは、「あなたたちがだめだったから、こうなってしまった」とならないように、
「現在のことを考えるために必要な過去のインデックスを示し」たいと言われました。
 「う~ん、そうなのね」と胸にすとんと落ちるお話でした。

 内海愛子さんは、「日本はどこの国を相手に戦争をしたのか知っていますか」と始められ、
それらの国々との戦後処理が終わっていないと話をすすめました。学生たちに丁寧に話をされました。
若い人たちに伝えたいというお2人の先生と恵泉女学園大学の気持ちを込めて、本書は1冊にまとまりました。
 
 

 
2017/07/14 16:20 新刊紹介 TB(0) CM(0)
1月23日(月)
 のりこシ、
 変わりないですか。そちらはいまどんな陽気かしら。
 19歳の時、太平洋大学と名づけられた船に乗って、アメリカに行きました。
 毎日新聞の記者だった大森実が仕立てたベトナム反戦を掲げた船でした。
 マルガリータ、ギリシャ語でひまわりという名前の確か2万トンの客船。
 大学生を中心に300人ぐらいが乗船し、船の中でベトナム戦争について勉強し
 議論しようというのがテーマだったと思う。
 講座がたくさんあって、いくつか受講したんだけど、
 で、覚えているのは、海の上を飛ぶとび魚と、甲板に寝転がったとき、
 右に左にゆれた満点の星空――。

 その途中でハワイに船は停泊。
 ハワイといえば、灰田勝彦とワイキキの浜辺。よし泳ごうと、夜の海で友だちと泳ぎました。
 昼間は、商店街を歩いて、KAFEでケーキを食べた。
 わたしは田舎育ちだから、何を食べても珍しくておいしかったけれど、
 一緒に食べた人は、「ただ甘いだけだね。ニュアンスがない」と論評。
 そういえばね、そうかな。
 ただ私たち、出されたものは、「美味しいです」というのが出してくれた人への
 礼儀だと育てられたんだ。よっぽどひどいものは別だけど。
 でもよっぽどひどいものなんて、それまでの人生になかったね。
 あなたが、ハワイにいる間に一度たずねたい、ね。
 でも3泊4日じゃさみしいし、2週間の休みは難しいし。
 わたしも自分にバカロレアを用意しようかしら。

 『愛する、愛される――デートDVをなくす若者のためのレッスン7』増補版は、
 2月上旬に出来上がります。
 のりこシが、アメリカから帰ってきて、アウェアをつくり、「女男」平等をかかげて活動を
 はじめた。DVについての話を、ちゃんと聞いたのはその時がはじめてでした。

 「ああ、わたしが経験したことは、DVだったんだ。
 わたしがされたことも、したこともDVだったんだ」
 どちらかというと、他の人にやってきたわたし自身のDV行動にショックをうけました。
 それは、私自身に振り返りをうながしています。いまもこれからさきも。
 デートDVという言葉も、二人で考えましたね。
  
 ことばを得て、はじめて実態が認識されるということはたくさんあります。
 人権や平等や市民や憲法や。公害やいじめやハラスメントも。
 いまは、デートDVということばは、当たり前に使われるようになりました。

 だけどDVはなくならないし、デートDVもなくならない。
 今回刊行する増補版につけられた、
 「いまどきの若者たちとデートDV」は、目から鱗が何枚も落ちるような、
 今どきの若者たち中学高校生の話です。
 
 スマホを使って、メール、ブログ、ライン、ツイッター、フェイスブックなどを駆使して頻繁なやり取りを
する。受信したら即返信が若者たちのルールです。バーチャルなプレッシャーで縛り合う、
バーチャルなストーカーだという認識はない。
 「壁ドン」「床ドン」に「セクスティング」に「リベンジポルノ」、みなさん、わかりますか?

 ぜひ、先生たちに読んでいただきたいと思います。
 この本を、大学で推薦図書として使ってくださる先生がいらっしゃいます。
 梨の木舎は、使ってくださる方がいる限り品切れにはできないよね、と、
増補版にしました。
 またこれが、加藤昌子さんというデザイナーが実にきれいな本に仕上げてくださっています。
 最初に漫画を入れています。
 
 どうぞ、みなさんお買い求めください。
 定価1200円+税です。

 
 
 

 
 

 
 
 
 
2017/01/23 10:43 新刊紹介 TB(0) CM(0)
12月10日


さて半年振りの新刊は、
 『たとえ明日世界が滅びるとしてもーー元BC級戦犯から若者たちへの遺言』飯田進
 ISBN978-4-8166-1404-0 C0031 Y2000円
 著者の飯田進さんとは、30年前にお会いしている。
 4半世紀以上が流れて、再会だった。飯田さんは私に会ったことはあまりおぼえていられないようす。ちゃんとインタビューして、本にまとまっているのにね。
 梨の木舎がこの建物の2階にあったとき、そこで話をお聞きした。インタビュアーは内海愛子さん。『ぼくらはアジアで戦争をした』にまとまった。梨の木舎の教科書に書かれなかった戦争の3冊目の本だった。あらためて手にとると、丁寧に作られたいい本だ。自分で言うのもなんだけれど。作家の高崎隆治さん、プロデューサーの岡本愛彦さん、映画監督の亀井文夫さん、の話も入っている。亀井さんは渋谷の事務所で、8時間ぐらいお話がぶっ続け、終ったあと近くの喫茶店でお茶を飲んだ。内海さんは「頭痛がする」って。もうお聞きする事はできないけれど。この本は3刷りまで。

 今年の2月末、はじめて沖縄伊江島を訪ねた。友人の節子さんに連れられて。美しく小さな島だ。塔頭といわれる岩山が鉛筆の先のように、ビューんとまんなかにそびえる以外はほぼ平らだ。
 米軍はここに3本の滑走路をつくった。たしか2本が今も使われている。オスプレーの猛烈な訓練の話は前に書いた。
 米軍基地のゲート前につくられた団結道場の壁に書かれた、「米軍に告ぐ」。雷のようにその文言は目を射すくめる。こじき行進をし、県庁前でテントを張って陳情を続けた人びとを支えた。威風堂堂と立つ道場は歴史遺産だと思う。阿波根昌鴻さんは、団結道場を残し、わびあいの里を残された。資料館としては、ぬちどぅたからの家がある。館長を、謝花悦子さんがつとめる、いまも全国から人が集まる、市民運動の交流の場なのだ。

 飯田さんたちが、スガモ・プリズンにいたころ伊江島に慰問の品ものを送った。そのころスガモには、全国から慰問の品物が送られてきて、「タバコや石鹸や歯磨きや鉛筆がごろごろあった」と。慰問品につけた手紙は飯田さんが書いた。受取った阿波根昌鴻さんたちは感激した。慰問品を前にお礼の文が看板に書かれていて、看板を背にした阿波根さんの写真が残されている。那覇の陳情テントの前で撮られた2枚の写真を本に掲載した。
 阿波根昌鴻さんの伊江島を昨年飯田進さんは始めて訪れ、時空を超えた2人のダンディの出会いは本に収録された。
 
 飯田進さんは、たたかいの言葉をもっている。人は自分の感情を表現する言葉を見つけたときに輝き、それは人を説得する力になる。言葉とは限らないかもしれない。絵であり、制作するものであり、ひょっとしたらたまねぎかもしれないけれど。飯田さんの言葉は、さまざまな体験とたくさんの読書から、苦悩し呻吟し思索して生み出された。

 この本の裏表紙に使われた写真は、山口県からスガモ・プリズンに慰問にきた人々だという。子どももいる。飯田さんは言う。「私たちが横浜に帰って来たとき、極悪非道なBC級戦犯でした」。しかし、「朝鮮戦争が始まると、米軍の政策が変わり、私たちは救国の英雄に変わったのです」。「天国と地獄をなめたのです」。これから日本社会が突き進んでいる戦争とは、飯田さんが体験したことをふつうの若者にしいるものなんですよね。
 海の水はぜんぶ飲まないとしょっぱいかどうかわからない?

2014/12/10 11:18 新刊紹介 TB(0) CM(0)
2014年5月25日 新刊をご紹介します。
 
もう5月もおわりですね。さわやかな火が続きました。さて新刊は、
『東アジアのフィールドを歩く―女子大学生がみた日・中・韓のすがお』李泳采・恵泉女学園大学東アジアFSグループ 編著 定価1600円+税

恵泉女学園大学国際学科の学生たちの12日間のフィールドワークの体験記録だ。歩くことで、たくさんの出会いがあり、疑問が生まれ、この本が生まれた。彼女たちは書く楽しみ、作る楽しみも経験した。大変だったでしょうけれどね。美南海ちゃん、データの入稿、チェック、修正。さまざまな体験、おもしろかった? そして、ここからはまた別な楽しみなんだ。売るという。つまり読者とつながるという。みなさんの知恵をしぼってね。ヨンチェ先生よろしくお願いします。

 その時代時代の旅がありますね~。私の時代の旅は、というと――。
1947年生まれのわたしは、1966年に本州大学(現在長野大学)に入学した。創立2年目の新しい大学だった。新左翼系の教師があつまっているといううわさもあった。
 そのころ、ベトナム戦争反対の市民運動のうねりがあった。大森実は毎日新聞をやめて、大森国際研究所をつくり、若者に世界をみせたいと洋上大学・太平洋大学を仕立てた。
 大学3年の夏だったかな、横浜港を出航し、サンフランシスコまでの往復、約1ヵ月の旅。費用は19万円、1ドル360円の時代。地方の学生のために、費用を半額にディスカウントし、残りの半額も5000円ずつ月賦で払えばいいという条件。

 船室は、2段ベッドの6人部屋で、上村さんというブリジッド・バルドーのような女性が同室にいた。大阪から参加の中崎美鈴さんとはすぐ仲良しになった。田舎からでてきた学生には、何もかも目新しい。初めての海外、初めての船旅。講師には有名人がたくさんいたらしい。
 船内で売店のアルバイトをしていた私に「あとでお金もってきます、尾崎ですが」と、おつまみをもっていったおじさんがゾルゲ事件の尾崎秀美(ほつみ)の弟秀樹(ほつき)さんだった。夏堀正元という作家からは、1968年のパリ学生革命の話を聴いた。
 約400人が乗船していたらしい。ギリシャ船籍で、マルガリータ、ひまわりという意味。いまでも唯一私が知っているギリシャ語ーー。
 サンフランシスコは坂の町だった。一人で路面電車に乗って、ヒッピーが集まった公園に出かけた。1967年の夏がピークだったようで公園はひっそりしていた。
 サンフランシスコ・オークランドベイブッリジを渡ると学生運動で有名になったカリフォルニア大学バークレー校があった。 1967年公開のダステイン・ホフマン主演の『卒業』の舞台にもなった。
 ベトナム戦争で若者たちは戦争に行った、あるいは徴兵拒否をした。
 ノーマ・フィールドはパートナーと一緒に国境近くの町に移り住すむ。

 1970年代には、サンフランシスコは性的少数者(LGBT)の権利運動の中心地となり、ハーベイ・ミルクが市会議員になったが、1978年、市長とともに暗殺された。
 その10年前のサンフランシスコ、戦争を抱え込んでいる街だった。
 ヒッピーの公園に案内してくれた陽気な若者はマリーン(海兵隊)だと言った。
 彼は、いまもあの街にいるだろうか。
 



2014/05/25 08:46 新刊紹介 TB(0) CM(0)
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