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ミナガちゃん

Author:ミナガちゃん
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2017年

7月14日(金)
 
 今日も暑い、半年ぶりのブログです。
 もう少しまじめに書きます。
 新刊が好評で、追加の注文をいただいています。
 
 その新刊は、
 教科書に書かれなかった戦争PART66
『歴史を学び、今を考える――戦争そして戦後』
内海愛子・加藤陽子/恵泉女学園大学平和文化研究所・戦後70年特別座談会 
ISBN978-4-8166-1703-4 C0021 定価1500円+税
 
 内海愛子さんと加藤陽子さん。
 お2人の講演を、2015年5月30日、私も恵泉女学園多摩キャンパスで聞きました。
 学生だけではなくシルバー世代も参加していました。
 加藤陽子さんは、「あなたたちがだめだったから、こうなってしまった」とならないように、
「現在のことを考えるために必要な過去のインデックスを示し」たいと言われました。
 「う~ん、そうなのね」と胸にすとんと落ちるお話でした。

 内海愛子さんは、「日本はどこの国を相手に戦争をしたのか知っていますか」と始められ、
それらの国々との戦後処理が終わっていないと話をすすめました。学生たちに丁寧に話をされました。
若い人たちに伝えたいというお2人の先生と恵泉女学園大学の気持ちを込めて、本書は1冊にまとまりました。
 
 

 
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2017/07/14 16:20 新刊紹介 TB(0) CM(0)
1月23日(月)
 のりこシ、
 変わりないですか。そちらはいまどんな陽気かしら。
 19歳の時、太平洋大学と名づけられた船に乗って、アメリカに行きました。
 毎日新聞の記者だった大森実が仕立てたベトナム反戦を掲げた船でした。
 マルガリータ、ギリシャ語でひまわりという名前の確か2万トンの客船。
 大学生を中心に300人ぐらいが乗船し、船の中でベトナム戦争について勉強し
 議論しようというのがテーマだったと思う。
 講座がたくさんあって、いくつか受講したんだけど、
 で、覚えているのは、海の上を飛ぶとび魚と、甲板に寝転がったとき、
 右に左にゆれた満点の星空――。

 その途中でハワイに船は停泊。
 ハワイといえば、灰田勝彦とワイキキの浜辺。よし泳ごうと、夜の海で友だちと泳ぎました。
 昼間は、商店街を歩いて、KAFEでケーキを食べた。
 わたしは田舎育ちだから、何を食べても珍しくておいしかったけれど、
 一緒に食べた人は、「ただ甘いだけだね。ニュアンスがない」と論評。
 そういえばね、そうかな。
 ただ私たち、出されたものは、「美味しいです」というのが出してくれた人への
 礼儀だと育てられたんだ。よっぽどひどいものは別だけど。
 でもよっぽどひどいものなんて、それまでの人生になかったね。
 あなたが、ハワイにいる間に一度たずねたい、ね。
 でも3泊4日じゃさみしいし、2週間の休みは難しいし。
 わたしも自分にバカロレアを用意しようかしら。

 『愛する、愛される――デートDVをなくす若者のためのレッスン7』増補版は、
 2月上旬に出来上がります。
 のりこシが、アメリカから帰ってきて、アウェアをつくり、「女男」平等をかかげて活動を
 はじめた。DVについての話を、ちゃんと聞いたのはその時がはじめてでした。

 「ああ、わたしが経験したことは、DVだったんだ。
 わたしがされたことも、したこともDVだったんだ」
 どちらかというと、他の人にやってきたわたし自身のDV行動にショックをうけました。
 それは、私自身に振り返りをうながしています。いまもこれからさきも。
 デートDVという言葉も、二人で考えましたね。
  
 ことばを得て、はじめて実態が認識されるということはたくさんあります。
 人権や平等や市民や憲法や。公害やいじめやハラスメントも。
 いまは、デートDVということばは、当たり前に使われるようになりました。

 だけどDVはなくならないし、デートDVもなくならない。
 今回刊行する増補版につけられた、
 「いまどきの若者たちとデートDV」は、目から鱗が何枚も落ちるような、
 今どきの若者たち中学高校生の話です。
 
 スマホを使って、メール、ブログ、ライン、ツイッター、フェイスブックなどを駆使して頻繁なやり取りを
する。受信したら即返信が若者たちのルールです。バーチャルなプレッシャーで縛り合う、
バーチャルなストーカーだという認識はない。
 「壁ドン」「床ドン」に「セクスティング」に「リベンジポルノ」、みなさん、わかりますか?

 ぜひ、先生たちに読んでいただきたいと思います。
 この本を、大学で推薦図書として使ってくださる先生がいらっしゃいます。
 梨の木舎は、使ってくださる方がいる限り品切れにはできないよね、と、
増補版にしました。
 またこれが、加藤昌子さんというデザイナーが実にきれいな本に仕上げてくださっています。
 最初に漫画を入れています。
 
 どうぞ、みなさんお買い求めください。
 定価1200円+税です。

 
 
 

 
 

 
 
 
 
2017/01/23 10:43 新刊紹介 TB(0) CM(0)
12月10日


さて半年振りの新刊は、
 『たとえ明日世界が滅びるとしてもーー元BC級戦犯から若者たちへの遺言』飯田進
 ISBN978-4-8166-1404-0 C0031 Y2000円
 著者の飯田進さんとは、30年前にお会いしている。
 4半世紀以上が流れて、再会だった。飯田さんは私に会ったことはあまりおぼえていられないようす。ちゃんとインタビューして、本にまとまっているのにね。
 梨の木舎がこの建物の2階にあったとき、そこで話をお聞きした。インタビュアーは内海愛子さん。『ぼくらはアジアで戦争をした』にまとまった。梨の木舎の教科書に書かれなかった戦争の3冊目の本だった。あらためて手にとると、丁寧に作られたいい本だ。自分で言うのもなんだけれど。作家の高崎隆治さん、プロデューサーの岡本愛彦さん、映画監督の亀井文夫さん、の話も入っている。亀井さんは渋谷の事務所で、8時間ぐらいお話がぶっ続け、終ったあと近くの喫茶店でお茶を飲んだ。内海さんは「頭痛がする」って。もうお聞きする事はできないけれど。この本は3刷りまで。

 今年の2月末、はじめて沖縄伊江島を訪ねた。友人の節子さんに連れられて。美しく小さな島だ。塔頭といわれる岩山が鉛筆の先のように、ビューんとまんなかにそびえる以外はほぼ平らだ。
 米軍はここに3本の滑走路をつくった。たしか2本が今も使われている。オスプレーの猛烈な訓練の話は前に書いた。
 米軍基地のゲート前につくられた団結道場の壁に書かれた、「米軍に告ぐ」。雷のようにその文言は目を射すくめる。こじき行進をし、県庁前でテントを張って陳情を続けた人びとを支えた。威風堂堂と立つ道場は歴史遺産だと思う。阿波根昌鴻さんは、団結道場を残し、わびあいの里を残された。資料館としては、ぬちどぅたからの家がある。館長を、謝花悦子さんがつとめる、いまも全国から人が集まる、市民運動の交流の場なのだ。

 飯田さんたちが、スガモ・プリズンにいたころ伊江島に慰問の品ものを送った。そのころスガモには、全国から慰問の品物が送られてきて、「タバコや石鹸や歯磨きや鉛筆がごろごろあった」と。慰問品につけた手紙は飯田さんが書いた。受取った阿波根昌鴻さんたちは感激した。慰問品を前にお礼の文が看板に書かれていて、看板を背にした阿波根さんの写真が残されている。那覇の陳情テントの前で撮られた2枚の写真を本に掲載した。
 阿波根昌鴻さんの伊江島を昨年飯田進さんは始めて訪れ、時空を超えた2人のダンディの出会いは本に収録された。
 
 飯田進さんは、たたかいの言葉をもっている。人は自分の感情を表現する言葉を見つけたときに輝き、それは人を説得する力になる。言葉とは限らないかもしれない。絵であり、制作するものであり、ひょっとしたらたまねぎかもしれないけれど。飯田さんの言葉は、さまざまな体験とたくさんの読書から、苦悩し呻吟し思索して生み出された。

 この本の裏表紙に使われた写真は、山口県からスガモ・プリズンに慰問にきた人々だという。子どももいる。飯田さんは言う。「私たちが横浜に帰って来たとき、極悪非道なBC級戦犯でした」。しかし、「朝鮮戦争が始まると、米軍の政策が変わり、私たちは救国の英雄に変わったのです」。「天国と地獄をなめたのです」。これから日本社会が突き進んでいる戦争とは、飯田さんが体験したことをふつうの若者にしいるものなんですよね。
 海の水はぜんぶ飲まないとしょっぱいかどうかわからない?

2014/12/10 11:18 新刊紹介 TB(0) CM(0)
2014年5月25日 新刊をご紹介します。
 
もう5月もおわりですね。さわやかな火が続きました。さて新刊は、
『東アジアのフィールドを歩く―女子大学生がみた日・中・韓のすがお』李泳采・恵泉女学園大学東アジアFSグループ 編著 定価1600円+税

恵泉女学園大学国際学科の学生たちの12日間のフィールドワークの体験記録だ。歩くことで、たくさんの出会いがあり、疑問が生まれ、この本が生まれた。彼女たちは書く楽しみ、作る楽しみも経験した。大変だったでしょうけれどね。美南海ちゃん、データの入稿、チェック、修正。さまざまな体験、おもしろかった? そして、ここからはまた別な楽しみなんだ。売るという。つまり読者とつながるという。みなさんの知恵をしぼってね。ヨンチェ先生よろしくお願いします。

 その時代時代の旅がありますね~。私の時代の旅は、というと――。
1947年生まれのわたしは、1966年に本州大学(現在長野大学)に入学した。創立2年目の新しい大学だった。新左翼系の教師があつまっているといううわさもあった。
 そのころ、ベトナム戦争反対の市民運動のうねりがあった。大森実は毎日新聞をやめて、大森国際研究所をつくり、若者に世界をみせたいと洋上大学・太平洋大学を仕立てた。
 大学3年の夏だったかな、横浜港を出航し、サンフランシスコまでの往復、約1ヵ月の旅。費用は19万円、1ドル360円の時代。地方の学生のために、費用を半額にディスカウントし、残りの半額も5000円ずつ月賦で払えばいいという条件。

 船室は、2段ベッドの6人部屋で、上村さんというブリジッド・バルドーのような女性が同室にいた。大阪から参加の中崎美鈴さんとはすぐ仲良しになった。田舎からでてきた学生には、何もかも目新しい。初めての海外、初めての船旅。講師には有名人がたくさんいたらしい。
 船内で売店のアルバイトをしていた私に「あとでお金もってきます、尾崎ですが」と、おつまみをもっていったおじさんがゾルゲ事件の尾崎秀美(ほつみ)の弟秀樹(ほつき)さんだった。夏堀正元という作家からは、1968年のパリ学生革命の話を聴いた。
 約400人が乗船していたらしい。ギリシャ船籍で、マルガリータ、ひまわりという意味。いまでも唯一私が知っているギリシャ語ーー。
 サンフランシスコは坂の町だった。一人で路面電車に乗って、ヒッピーが集まった公園に出かけた。1967年の夏がピークだったようで公園はひっそりしていた。
 サンフランシスコ・オークランドベイブッリジを渡ると学生運動で有名になったカリフォルニア大学バークレー校があった。 1967年公開のダステイン・ホフマン主演の『卒業』の舞台にもなった。
 ベトナム戦争で若者たちは戦争に行った、あるいは徴兵拒否をした。
 ノーマ・フィールドはパートナーと一緒に国境近くの町に移り住すむ。

 1970年代には、サンフランシスコは性的少数者(LGBT)の権利運動の中心地となり、ハーベイ・ミルクが市会議員になったが、1978年、市長とともに暗殺された。
 その10年前のサンフランシスコ、戦争を抱え込んでいる街だった。
 ヒッピーの公園に案内してくれた陽気な若者はマリーン(海兵隊)だと言った。
 彼は、いまもあの街にいるだろうか。
 



2014/05/25 08:46 新刊紹介 TB(0) CM(0)
梨の木舎通信
2013年12月10日 
新刊『夢三夜』定価:1600円+税 
 
 『夢三夜』をお送りします。著者の飯島勝彦さんは私が生まれた佐久市望月町布施村式部の人です。私が小さかった時、おばあちゃんから、「野沢北高に合格した、あたまのいい人」と聞いていました。実際にお会いしたのは、何十年もたってからのことです。多津江民芸館の集まりで司会をされていました。柔らかい笑顔で、静かに話しをされる方で、「この人があの噂のカツヒコさん」と思ったものでした。

『夢三夜』で、著者は日本の農村がさらされている現実をご自身の体験をもとに描いています。都会で生活するものには、農業がみえません。関心がないとも関心を奪われているとも言えます。私は、都会の空き地を農地にして、都市機能と農地を同心円状につくったらいい。ビルの緑化もすすめ、可能な限り屋上も農地にして、子どもたちに農業をさせる。もちろん大人も。野菜畑が近くに見える環境をつくりだす。生産性が低い産業を、みんなが支えていくことによって、収穫の実感を体験し、採算だけがすべてではないことを身をもって知る。

何よりも食料自給率をあげることができる。世界の自給率をみると、2005年の数値だが、高いところでは、アメリカ123パーセント、カナダ173、フランス129、オーストラリア245(!)。そしてドイツ85、スペイン73、イタリア70、イギリス69、オランダだって62、スイス57。そしてダントツ低いのが、韓国45、日本40。おまけに日本は、たしか半分以上を廃棄している。
 
そうは言ってもねえ、というのが現実? だったら、学校菜園をもっと増やして、近くのお百姓さんに指導してもらう。このくらいはできる、と思いませんか。

 飯島さんの作品に『鬼ヶ島の婆たち』(郷土出版社)があります。産廃ごみ焼却炉の廃炉に敢然と立ち向かった婆たちの実話をもとにしたものでした。
 婆たちは標高1000メートルの山中、自宅から100メートルも離れていないところに造られた産廃ごみ焼却炉の撤去をもとめて闘い、廃炉に成功します。飯島さんたち村の人も水源地とも言える峠に産廃ごみ焼却炉なんてとんでもないと、怒りの声をあげ、署名運動をし、デモで訴えます。

そのころ私は、東京-上田を車で往復していて、現地は私の帰省ルートでした。ある時、森を隠すように、道の谷側に3メーターほどの塀が作られ、木立が切り払われていくのを車の窓からみつけました。
「産廃焼却炉絶対反対!」のたて看板がたてられ、反対運動があると知りました。ある時その娘さんと知り会い、その後また何年かして、彼女の家を訪ねました。廃炉運動を闘ったお母さんは、認知症で伏せていられました。「あがって、あがって」と招じ入れていただき、コーヒーをいれていただき、おしゃべりしました。広い家にねこが何匹も出入りしていました。「山に捨てられているのを、拾って、餌をやっていて、20数匹にも増えてしまった」そうです。

焼却炉が稼動しているとき、煙とともに強烈なにおいがして、障害をもって生まれたねこの赤ちゃんもいたそうです。彼女が育てた豆をもらって帰りました。「鹿がみんな食べてしまって、収量は少ないの」 彼女の収穫の上前を撥ねました。今彼女は果敢に闘った母親を送り、山の中の家で一人暮らしをつづけています。 

飯島さんが、地域の出会いと社会の理不尽ともろもろのことを手元に引き寄せられ、農業の合間に文章にされる。私たちは本と出会い、著者と出会い、本の登場人物と出会う。

本書には、「夢三夜」「てんてん」「前へ」が収められています。「前へ」は、一人の少女の東日本大震災と福島原発事故の体験が描かれます。津波で母親を亡くした少女の気持ちはいかばかりか。父親と離れ住み慣れた町を後にし、見知らぬ場所で暮らすことになる少女の胸のうちを考えます。大人は自分の住むところを自分で決められるけれど、子どもには決めることもできない。母を抱きしめ、さよならということもできずに、ただもう会えないという現実に投げ込まれたのです。

私は、母とのたくさんの時間を与えられました。生まれてから別れのときまで、可愛がられ、里山の畑に連れられていく時には、木立につながれた腰ごに入れられ、山陰(やまかげ)で眠ったそうです。時には「なんてズナイ(これは佐久地方の方言で、意地が悪いというような意味ですが)子だ」と言われ、こちらも「なんといういやな親だ」と思い、何とか早く家から出て行こうと思い、でも帰省してきたときには、「おいしいね」と母の作る散らし寿司を食べ、一緒に旅行し、唱歌を歌い、たまにはビールを飲み、どくだみととうもろこしの毛とクコの葉のお茶を飲み、おにぎりをもって姉と3人で日帰り温泉にゆき……記憶の中にはたくさんの思い出が折りたたまれています。
 少女は母ともう新しい思い出を作ることはできません。あまりにも早い母との別れでした。でもお母さんは、新たな出会いを用意していてくれて、新しい世界が彼女の前に広がっているはず。たぶん、たぶん、彼女は母と一緒に新しい記憶をつくっていくでしょう。亡くなった人はいつもどこに行くときもついていってくれる。何しろとっても軽くなってしまってどこにでも行くことができるのだから。

 12月7日(土)の午後、福島県郡山から黒田節子さんをお招きして、原発事故後、2年9ヵ月たった福島の抱える問題を話していただきました。場所は佐久市教育会館。地元の岩下美智子さん岩下和さんが会をオーガナイズしていただき、50人を越える聴衆が熱心に聞いてくださいました。

放射能による健康被害、進まない廃炉作業、「除染」問題、汚染水問題、子どもたちの甲状腺がん、そして新たに作られようとしている低線量汚染物質の焼却炉の問題。原発事故は数々の問題を引き起こし、解決が見出せません。にもかかわらず、その日の『朝日新聞』は、政府の原発再稼動の方針を伝えました。

その前日、12月6日(金)夜中、特定秘密法案成立。信濃毎日新聞の主筆中馬清福さんは、「この法律を実施させないこと」を呼びかけ、98歳のジャーナリストむのたけじさんは、明日から廃案に向けた運動を始めようと訴えています。
2014/01/27 08:03 新刊紹介 TB(0) CM(0)
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